令和7年度 12月の例会のお知らせ

お知らせ

 今回の例会の主となる人物は、名越左源太氏を匿ったとされる方についての調査経過報告となります。

 この方は、名越左源太氏が書いた遠島日記にも登場しますが、名前の読み方など多くの疑問が

 大島郡医師会50周年記念誌 翔(かける)2007年 限定数販売の中(104~119頁)に、『学術資料』 藩政末期~明治前期の医師「加勇田 藤良」物語として掲載された。

 しかし、その内容が事実と異なる部分が多いと指摘されている。

が、今日に至るまで異なる部分の指摘のみで、証拠を掴んで発表をした者は一人もいない。

 また、この主となる人物の子孫は戦後に奄美に住んでいた加勇田家にほぼ、限定されていると語れているが、それも最新の調査で異なることと、「加勇田 藤良と名前の書いた墓は奄美にはない」が、遠く離れた場所で存在することも発覚。※加勇田 藤良の没地は三方村小宿村

『学術資料』 藩政末期~明治前期の医師「加勇田 藤良」物語 を書いたとされる林 蘇喜男氏は、編集をしたに過ぎない『高崎崩れ』ならぬ『加勇田家崩れ』のお家騒動に巻き込まれた人物の一人である。

 今回の発表者は、このお家騒動の当事者となる加勇田家の一人の人物からの依頼の元に長年調査してきた内の一人である。

奄美郷土研究会 事務局 竹島鉄典

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