奄美群島本土復帰70周年を見届けたかのように、旅立った奄美近現代史研究の第一人者 竹島忠男先生。
1933(昭和8)年。大島郡実久村(現在瀬戸内町)瀬武生まれ。本年(2023/令和5)11月19日老衰でご逝去。享年91歳。そのお顔は、微笑みで満たされ、一仕事終えて安らかに休んでいる様に思われた。
奄美の近現代史は、復帰後相次いで編纂された各市町村誌がその一役を担っている。
先頭をきって原口虎雄先生監修の『名瀬市誌』が1971(昭和46)年刊行された。この時多くの郷土史家が参集したようである。竹島先生は、1958(昭和33)年創設した奄美郷土研究会から参加され、市誌編纂にも加わり原口先生の影響も多大なものがあったと云う。
『名瀬市誌』は、藩政時代からの黍政策が根幹を成して展開されている。この史観を継承して、明治期の砂糖自由売買運動(自由勝手運動)や三方法運動を検証されて、各市町村誌に記されている。
郷土研究会は、当初役職は無く、数名の世話人で運営され、若手の竹島先生は事務局を担当されていた。
教職員と云う職業柄、移動で名瀬不在時も世話人をされて居られた。当会が、会員の高齢化や移動で所在不明者が多数出て、一時300名の会員も1980年代には50名を割りました。
1990年代には、役員制度に改めて運営するも資金難などで会報未発行。自力活動が減少し、共催行事が増えて休会・廃会状態。
2000年代、有志が集い研究会の進退を協議し、再生復活に決定。再生に向けて始動したものの困難を極めた。2010年代、このような状況において推挙されて会長に就く。
例会復活・会報の発行(40号~現在48号発行)奄美郷土研究会創立50周年記念として第1復刻版発行(創刊から5号)。第2復刻版発行(6~10号)。
病床のみで会長に就き、ご自身の研究テーマであった瀬武誌刊行。父:竹島純の奄美研究報告。その後、病気療養に専念。
戦前、篠川小学校長が更迭され、軍属の方が校長に就く。前校長が復活裁判を起こす。
この記録が北海道(前アイヌ研究所)に残されており、知っておられたのは竹島先生だけだったが、残念ながら以降の調査が出来ず棚上げ状態。
奄美研究に生涯を共にした竹島先生。郷土研究会とご自身の貴重な資料が残された。蔵書を一見して、歩んで来られた歴史が伺える。
図書館や博物館には、奄美郷土誌の多くが所蔵されているのだが、研究者がどのような資料を基に研究を進められたのかを知ることは難しい。過程を知らずして結果を追い求めるのは学会の世界でよい。研究者の想いを知ることが郷土誌を深めることだと考える。
また、当会でも幾人かの研究者の解釈はして来たのだが、多くは手付かずのままで、まだ多くの資料が埋もれていると思われる。竹島先生の蔵書を一見して、埋もれた資料の発掘。その解釈の必要性を感じた。竹島先生からの私達への課題でもあると思えた。
竹島先生しばらくの猶予を下さい。
その間、そちらの皆さんと焼酎でも飲みながらゆっくりとお待ちください。
これまで誠にありがとうございました。合掌。
奄美郷土研究会事務局 山岡英世