令和7年度 12月の例会終了と反省のお知らせ

お知らせ

ー時代の間を生きた奄美の医師ー

加勇田かゆだ藤良ふじゆき

‐文化13年(1816)年~明治37(1904)年の88年間-

 

お足元の悪いの中、会員並びに一般の方々を含め30人のご来場頂き感謝申し上げます。

 当日のアンケートにおいて多数の批判を承り、それらを真摯に受け止め、『第二弾』があるのであれば、より理解を深められる内容に徹し改善に努めます。

 当初は、名越左源太の残した「遠島日記」と当時の小宿住人との手紙のやり取りなどを紹介し、その内容の中から名越左源太や医者となった嘉美行(加勇田藤良)のそれぞれの人物像と、加勇田家の子孫との繋がりをお伝えし、過去に出ている書籍等からくる記述内容の不一致点を紹介する予定でしたが、発表の約1週間前に指導が入り、加勇田家の伝承と当時の史事実の検証をするように指摘された結果、当初予定していた簡略化した家系図もより複雑な図面となり、尚且つそれぞれに注釈説明が入る形となりました。

 大変難しい内容だったと反省しております。

 発表前日22時まで指導・指摘が入った為、当日の午前3時まで資料の編集や見直しを行い、その後、発表の1時間前まで印刷を行ったことで、スクリーン説明で使うデータを保存したUSBを忘れてしまうという失態をおこし、手元の資料で皆様に説明する形となりました。USBが会場に届いた時には、資料の説明を簡略化した重複説明となり、本来は加勇田藤良に関する記述がある書籍の紹介、事実と異なる点の指摘もしたかったのですが、『それは必要ない』という指導があり、最後の「まとめにかえて」では、間違いがある既存書の名前と間違い内容を出さず、伏線回収となり皆様を困惑させる結果となったことも今後の反省材料として受け止めます。

 当日、この加勇田家に関する資料の保管場所であった親族宅から勝手に持ち出され、ある歴史研究機関に預けられた資料が現在、紛失状態にあることも例会でお伝えしましたが、これは、加勇田家の子孫である私と亡き母など加勇田家関係者と歴史研究機関との問題であり、資料の取り扱いの杜撰さを追求したに過ぎません。

 今回の例会の報告者である私が、加勇田家の子孫であることを公表することすら躊躇う心情もあり、当日まで複雑な胸中の報告だったことも、ご理解ください。

 

 

今回の例会報告者:竹島鉄典

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました